今日は姉のターン、こんにちは、ぴのすけです。妹よ、元気かい。
趣味の話が続いて、改めて考えてしまったことがある。
私が飽き性な理由の一つには「独学の限界を感じること」もあるのではないかしら、と。
私も、きの(妹)と同じで、幼い頃はとにかく絵を描いてばかりだった。
同じ親とはいえ、私が幼い頃の両親はまだ若かったから、「勉強しなさい」「お行儀よくしなさい」ってすごく厳しかった!小さい頃からずっと、国家資格を…、選択肢が広がるように進学校に…、って言われていたし、絵について学ぶことは、遂にありませんでした。美術部とかの部活動も含めて。
趣味で独学でめっちゃうまい人も、世の中にはたくさんいるでしょう。
だけど、少なくとも私の場合は、どこかの段階でポッキリと折れてしまった。
絵以外のことで何かやろうと手芸を始めたものの、本とかネットとかで、断片的に情報を拾うだけでは「どうしても超えられない一線」みたいなのが存在する気がしてる。そこを越えなくとも、ある程度…それについて知識のない大半の人にスゴイって言われるくらいのところまでは行けるけど、自分には絶対わかる線。
きっと、その線は、他人との繋がりの中で越えていくもの。教師に限らず、仲間とか、友達とか。
その線って、上には上が延々とあるんだけどね。たぶんその、最初の線を、いつも越えられないの、私は。仲間作りも下手だし。だから飽きちゃう。(たぶん、私たちの父も同じなのではないかな、と思う)
この道を歩くことに決めたのは自分なので、自分が望んで歩いてきた道。
それでも、きのがデザイン系の学校に行くって決まった時は、嬉しいのと同じくらい、悔しかったし羨ましかったなぁ。オトナゲないよね〜ははは…まこと情けないことよ。
ただ、独学だろうが何だろうが、今はインターネットの時代なのだから、たくさん吸収して、たくさん人と繋がっていくことは、理論的には可能だったはずなのよね。
だから、まあ、やらない言い訳。ってこと。本当はそっちの方が、情けないしカッコ悪い。
とはいえ自分の持っているエネルギーって限りがあるから、やらない選択は生きていくために必要だったのでしょう。
こうやって書けるようになる(消化する)までに、10年かかってる。私にとっても、絵を描くことってそれくらい大事なことだった。
最初の記事で「たぶん趣味の手芸」って書いてるように、今はまだ、絵に代わるような趣味を見つけられていないのかもしれないなぁ。
と、ここまで、きのにとっては居心地良くないような話を書いたのは、「描きたいな」って思えることを、ぜひ大事にしてもらいたいから。言い尽くされた言葉だけど、失ってから取り戻そうとするのは、マジで大変。描きたい時に、ちょっと頑張ってでも、描いてみてほしい。そして、私にも見せてもらえたら、すごく嬉しい。
あ、ゲームの話?しとく?
今、原神というゲームにハマっている。
夫がネットで見つけて、リリースを本当に楽しみにしていたゲームで(リリース日には会社休んでた)、友達も誘って楽しそうに遊んでました。
私は、ひと月遅れくらいで始めたんだったかな。
それが、今月になって、妹にも広まり、つられて弟まで始めていく様は、見ていて大変楽しいことでした。帰省できない今は、そういう繋がりが嬉しいなぁって。
たぶん何でもそうなんじゃないかな。
それ自体も楽しいけど、それをきっかけに、誰かと繋がっていけたり、一緒の時間を共有したりするのが、楽しい。モチベーションになるのは絶対後者だと、思う今日この頃です。
バトンは、仕事であった嬉しかったことか、仕事で会った印象的な人、でどうですか。
ではまた。