この記事はノーカンで【姉】
素早い返しを目指していく姉です。
早いものでもう5月。私は先週、完全に5月病みたくなってました。
自分の異動はなかったけど、会社のトップや、一緒に仕事することの多い先輩が変わって、環境が激変したひと月でしたので。
多分、社会人である以上、こうやって変化に翻弄されながら生きていくことになるんだろうなぁ。
わたしの場合は、この縁もゆかりもない土地に単身嫁いできたこと以上の激変はないので、それに比べたらだいたいのことが小さく思えていたものだけどね……前は。こちらでの暮らしに慣れてきたら、やはりどんな規模でも変化は疲れる。
人間関係のわずらわしさも含めて仕事、と思ってます。
現場仕事だった時も、事務所仕事の今も。
社会人も10年目が近づいてくると、いろんなことが「そんなものよ」みたいな気持ちになってくるので、おそらく、社会人1年目とか2年目とかのきのちゃんのほうが、仕事のことをまじめに考えていると思いますよ。
頑張ったことが報われることも無くはないけど、組織で働いている以上、自分の努力だけでは、モノゴトは動かない。よって、努力が報われなかったり、自分が大事にしたいことができない時が結構あったりする。個人の信条と、組織の方針は、どんなに合う組織にいたとしても、全く同じになることはないと思う。
その、合わない上司も、そこに至るまでいろんな社会人経験を経て、そういう風になってしまったのかもしれないね。
とはいえ、わたしも、自分の仕事に責任持たない人とは一緒に仕事したくないけどね。
きのちゃんの彼氏に関するお悩みを聞いていて、自分も似たような境遇にいた時があるはずなのに、どうしても今の自分目線になってしまうなぁって反省して。
今朝、きのちゃんと同じくらいの年齢だった当時のブログを読み返しました。
一読の結果、現在のわたしにとっては「あのまま付き合っていなくてよかったクズ男NO.1」なヤツのことを、当時は心底大事に思って、結局音信不通になるまでずっと大事に思い続けていたということが判明しました。
連絡よこさないわ、探り入れるとキレるわで、全然対等な関係じゃないのに、ソイツが発した言葉ひとつを宝物みたいに大事にして、それに縋っていた。
さすが、だめんずとしか付き合ってこなかっただけある。さすがわたし。
でもね、そんときのわたしには、それが「真実」だった。
他人から見たり、今のわたしから見たりすれば、どこからどう考えても、全然大事にされていない。それが客観的な「事実」だけど、当時のわたしにとっては、彼の言葉が真実だったし、彼のことを思う自分の気持ちが真実だった。
そしてそれを貫き通したわけだけど、同時に、自分の芯みたいなものもちゃんと守り通したから、何とか現在のわたしにつながっているな、と思う。
芯…自分が幸せになりたいということ。自分の幸せとは、家族や友人の幸せに貢献できること、そして、明るく光のある人生を歩くこと。
彼と一緒にいると、家族や友人は心配ばかりしてた。
彼と一緒にいると、明るい道を歩けないことはわかってた。
それがわかっていたから、彼の言葉を信じて待つ一方で、自分から動いて深追いはしなかった。”彼のほうからこっち側に来ない限りは、多分この人とは幸せになれない”って、本能で理解していたんだと思う。
理解していても、気持ちとしては好きなわけだから、当時のわたしもめちゃくちゃ落ち込んで吐くほど苦しんでいたよ。
ここで、わたしの信条をひとつ。
「そんなときもあったよねぇ~!」って笑えるように必ずなる。
未来はいつも、自分が想像してたよりもずっと素敵だったから、これからもきっと今想像できないような素敵な未来がやってくる。
だから、今の私は、今できることを精一杯やる。
昔からずっと、わたしはこうやって思ってやってきました。
きのちゃんにもきっと、想像より素敵な未来が待ってるよ。それだけは言い切ろう。
本当はね、かける言葉が無いのよ。
過去の自分のブログを見てても、我ながら本当に健気で、心底かわいそうで、気の毒で、その気持ちは丸っと今のきのちゃんにも思っている。
当時のわたしには申し訳ないけれど、ソイツに、それだけの想いをかける価値は全然なかった。わたしの想いのひとかけらも、受け止めるだけの器がなかったんだもの。
救いなのは、「想いはひとつもソイツには届いていない=相手に対しては無駄だった」けど、そういう想いを持てたこと自体は、無駄じゃなかったということ。ソイツには届かなかったけど、自分の中で、誰かを大事に想う気持ちを育てることができた。
と、まあ、全部、今となってはの話だから、な。
この記事はノーカンってことで、きのちゃんのお題を受けた記事は、今日中にもう一回書くよ~